2012年01月27日

我が青春のコミケへ

12月30日、妹からこんなメールが来た

>【コミケ】
>娘2人と東京ビックサイトにいる(>_<)
>すごい人だらけ(^_^;)

中学生の姪っ子がコミケデビューしたらしい。
と、言っても、同人誌購入目的の来場デビュー。
お目当ては、けいおん と ヘタリア だそうだ。

まさか妹も、若い頃、姉が同人誌を抱えて足繁く通っていたあの即売会へ
娘につきそう羽目になるとは思わなかったか。(爆)

▼ ビッグサイト
 (わたしは”骨董ジャンボリー”でしか行ったことがないが・・・)

2012_01_14_ビックサイト.jpg

コミケ = コミックマーケット はマンガに興味がない方でも一度は耳にしたことがある
社会現象ともされる日本最大の同人誌即売会だ。
 
私が、同人誌を作成して参加していた頃は、参加サークル数がまだ100サークルに
達していなかった。

初参加した1976年 ”コミケ3”に持ち込んだオフセット誌は
まだコピー誌ばかりの中で「すげーー!オフセット誌だ!」と驚かれた。
今のような簡易印刷によるオフセットはなく、活版印刷で高額になるためオフ誌は
とても珍しかった。

当時B5版150px600部で60万円ほどかかったと記憶している。
当然、メンバーの持ち寄り金でつくったので、完売目指してのコミケに参加だった。

▼ 今手元にあるのはこれだけ。他は実家の押入にあるはず・・・・
2012_01_27_木馬館同人誌スクランブル残党_1.jpg

渋谷駅の「ばら苑」という喫茶店でコミケ準備委員会だったか、設営会が行われ
参加サークルは当日の設営段取りをした。

参加サークルや入場者が増えるとともに、スタッフの数も増えていった。

▼<コミケット・グラフティ> 朝日出版社
  コミケットが始まって10年目の1985年に発行された。

2012_01_27_コミケグラフティ_1.jpg

2012_01_27_コミケグラフティ_2.jpg
▲ 裏表紙にうちの裏本も・・・・
(オフセットの本誌より、青コピー誌が米沢さんの好みだったようだ)
 

知った顔ばかりのスタッフで、顔パスしていた会場の出入りだったが、
手ぶらで出てしまった会場に戻ろうとしたら呼び止められ、
サークルスタッフ(売り子)であることのチケットかなにかの提示を求められた時、
”コミケ・・・・大きくなったじゃん”と思った記憶がある。

私が参加し始めた頃は、漫画家になりたい人が集まる創作同人誌が主体だったが
その後はアニパロ(アニメのパロディー)、ロリコン、コスプレと、多方面で
コミケはどんどん大きくなっていった。

最後のコミケ参加は、

1996年の 「さよなら晴海!! コミケットスペシャル」

コミケ会場の東京国際見本市会場が晴海からビッグサイトに移る際のさよならイベント。
当時はもう活動もしていなかったが、招待サークルによる同人誌即売会だということで、
ご指名(?)をいただいたので、老骨にむち打って1冊つくる。

▼ オフ誌もコミケ参加もこれが最後だったなあ
2012_01_27_木馬館同人誌スクランブル残党_2.jpg

▼ 裏表紙 
2012_01_27_木馬館同人誌スクランブル残党_3.jpg

もう何年も前になるが、”よねやん”こと米沢さんが他界されたことをTVニュースで
知った。 そしてその後そのよねやんの記念館があることを知った。

米沢嘉博記念図書館
http://www.meiji.ac.jp/manga/yonezawa_lib/

このサイトで、”あにじゅん”こと亜庭じゅんさんが他界したことを知ったのは去年の今頃
だったろうか。 MGMにも何度も参加させていただいた。

私よりは一世代上の方だが、それにしてもみんな早すぎるだろ。

どんどん大きくなる即売会イベントの中で、あちらには私の記憶はなくても
わたしにはまだサークル数の少ない時に、気軽に声をかけていただき
かけさせていただいた方達の訃報はとても切ない。

姪っ子にちょっと昔話のひとつもしてみようかと、コミケで検索してみたら
コミケの公式サイトがあった。
姪っ子が出かけた去年12月コミケは参加サークル数 3万5千サークル。
来場者数 3日間トータル 50万人だそうだ。

そのサイトの中に「コミックマーケット年表」を見つけた。
http://www.comiket.co.jp/archives/Chronology.html

コミックマーケット6
7月30-31日 100 サークル 推定2,000 人
大田区産業会館 イベント:
「アズ漫画研究会」「スクランブル残党」「楽書館」による原画展示を行った。
               ↑
           これがうちの会名である

青春の足跡がそこにある。
パソコンの後ろから、
”奥さん、なんだか幸せそうだね”と夫から声がかかる。

そりゃあ、もちろん。
コミケがつぶれない限り、活動した会名がここに残っているってことよ。
おいしいじゃん!
コミケよ! 永遠に!

みんな、還暦になったら同窓会やろうね!
シアトル駐在時に疎遠になってしまったメンバーの所在確認をしよう。
私の老後が楽しくなるよう、みんな長生きしてね。


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タグ:コミケット
posted by noriちゃん at 18:45| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月24日

東京に雪積もる夜・放射線量モニタリングポスト

いつもより幾分早く帰宅した夫の夕食を片づけ
明日は寒そうだからと・・・夜のうちにと
飲み終えたばかりのビール缶を加えた資源ゴミをもって
マンションの1階に降りる。

こんな夜中だが、ついでなのでデジカメ持参だ。

23日 23:30頃の雪景色。

2012_01_24_東大和市雪_1.jpg

2012_01_24_東大和市雪_2.jpg

2012_01_24_東大和市雪_3.jpg

静かな夜の雪につられて
ふらっと建物外にでての撮影で濡れて部屋に戻れば

友人からメール着信有り

【放射線量あがってますご注意】

小平市の放射線量モニタリングポストで
日中は0.0452くらいだった放射線量が
22時に2倍以上の0.111・・・・・・・・・・・・

http://monitoring.tokyo-eiken.go.jp/mp_kodaira_air_data.html

グラフで示されているサイトの書き添えもいただいた。

http://guregoro.sakura.ne.jp/radioactivity/mix/

風向きだろうと思いつつも
不安定なタービン建屋と、先日公開された内視鏡で撮影された放射能の
白いノイズのとびかう建屋内が頭をよぎる。

18日の新聞記事。福島原発で電圧低下による、燃料プール一時冷却停止。
窒素ガス注入が50分停止した。

東電は不具合の原因は不明、瞬時電圧低下でも停止しないバックアップの
仕組みがあるわけではない
と言い、東電のお偉いさんは電圧低下による停止は
通常でもあり非常時の電源は備えている
と説明した。

だったら、50分止めるな! 非常電源を稼働させろ!

短い時間なら問題ないと高をくくるな!

原因さえ不明の不具合が、なぜ長い時間の停止しないと言い切れる。
職員がその都度、非常電源を稼働させる対応をしないでどうする。

いまだに最悪の想定も、その対応訓練も出来ない東電に原発を管理させるのは
未熟な国がもつ核兵器と同じだ。

こんな素敵な雪積もる静かな夜に
変動する放射線量の情報に
アンテナを張って暮らさねばならないのが悲しい。


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posted by noriちゃん at 03:05| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月14日

原発署名

原子力発電所の賛否を問う住民投票のための条例の制定をめざす署名をした。

2012_01_14_原発署名.jpg

http://kokumintohyo.com/branch/

去年「原発に頼らない電力のしくみ」という講座をのぞきに行き、その会場で
同署名運動の受任者(署名を集めることが出来る人)の募集をしていたが、
ご存じの通り3市共同資源物施設問題のことだけで手一杯なので、
手伝えないことに恐縮しながら会場を後にしたのだが、
昨日、受認者である知人がわざわざ署名を集めに来てくださったので
なんとか底辺の一人になれた。

最終的に処理できない原発ゴミ(高レベル放射性廃棄物)をどこかの地下に保存して
そのうち未来科学がなんとかするだろうと思っているなら、
今、原発以外の手段を考えることのほうが正しい選択なはずだ。

未曾有の地震、津波だった、これに学んで強化すれば原発は安全だ。

今後に及んでまだそんな安全神話をつくろうとする人は
それで利益を得てるに違いない。

安全神話を信じようとする人、信じたいと思う人は、
自分の生きてるうちに、もう一度は遭遇はしない事故だと高をくくり、
現実逃避している人だろう。

原発を東京に持っていって欲しい。

事故当時のTVで福島の人が言った言葉が忘れられない。

東京都民が、関東で暮らす人が、
電力について考えることから現実逃避してはいけない。
考えることを放棄してはいけない。

それは日本全体が肝に銘じなければ
原発のある地域の方にあまりにも失礼だ。

あれから10ヶ月。
もうすぐ3月11日がやってくる。


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posted by noriちゃん at 22:12| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする